月さえも眠る夜〜闇をいだく天使〜

3.惑星監査官



「これから、どうするおつもりなのですか?」
聖地の門の前、一同が会し前女王補佐官のディアを見送りに来ている中、アンジェリークが尋ねる。
補佐官の引継ぎを終えて、すぐに去ろうとする人をとどめておく手だてはないものかと色々考えたが、無駄な努力であったようだ。
ディアは以前とかわらない優しい笑み ―― 聖地の同僚達が、母とも姉とも妹とも、慕っていた笑みを浮かべる。
「辺境の、王立研究所のメンバーによばれています。スモルニィの先生、とかも考えたのですけれど」
ふふっ、と明るく笑った。
「生活自体は、心配ないのですよ、(作者註・年金があるらしい)でも、自分の人生、もう一度、歩き出すのもいいかと思って」
少しも、迷いのない表情。きっと彼女はこの先も強く生きていくだろう。アンジェリークはそう思い心が熱くなる。
「私が補佐官として長い間培った経験、生かさない手はありませんものね。この後も、この宇宙を守るお手伝いしていくつもりですわ」
親友が、一生涯その身を宇宙に捧げたように。
いつまでも、きりがありませんわね。お名残惜しいですけれど、と、会釈し、去ろうとするディアをゼフェルが呼び止める。
さっきから、機会をみはからっていたらしい。
みんなの見ている前で照れくさく、声をかけられずにいたのだが、ここで掛けなければ最後、と勇気を奮ったようだ。
「これ、遅くなっちまったけど、なおしといたぜ」
飛空都市で、女王候補だったアンジェリークに直して、と頼まれていたオルゴールであった。
かつて、前任の鋼の守護聖がディアのために作ってくれた想い出のオルゴール。
彼が聖地を去るときに壊れ、そのまま時を止めてしまったオルゴール。
ディアは黙って受け取りそのふたをそっと開く。
あの頃と少しも変わらないメロディが流れ出した。
暫く懐かしそうにその音に耳を傾けていたが、
「ありがとう、ゼフェル。でも、これは」
そう言って、アンジェリークに手渡す。
「あなたが持っていて。この先、補佐官の仕事をしていて、辛いことがあっても、あなたを元気づけてくれるように」
彼女に渡してもいいかしら?というふうにゼフェルをみやり、ゼフェルは黙って頷いた。
「ありがとうございます。でも、いいのですか?大切な、想い出の品なのでしょう?」
なんとなくのいきさつは、感づいているアンジェリークである。
「実は、もう一つ、あのひとに直してもらったオルゴールがあるの。それに、多すぎる想い出は、おいていかなければね」
そう言って、ディアは微笑んだ。
とても、美しい微笑みだ、と、アンジェリークは思う。そして、この美しさは、ロザリアにも似てる、と。
「あのよー、ディア」
ゼフェルが小さくつぶやいた。
「いつだったか、一度口に出した言葉は取り戻せないって、あんたに怒られたよな」
ディアが、やさしく頷く。
「……わかってるつもりなんだけど、いつも言葉が先走って相手を傷つけちまうときもある。そのつもりはねぇのにな」
ボリボリと頭を掻いて視線を逸らすと、ふうっと深呼吸して言葉を続ける。
「だから、アイツも ―― 前任の鋼の守護聖の奴も、おんなじだったんじゃねーかって。オレはもう、何でもねーからよ。あんたが気にするようなことは、もう、何もねえ」
鋼の守護聖交代の際に起きたいざこざ。
無理やり連れてこられた上に辛い言葉を浴びせられ、聖地に、守護聖に、女王に、疑問を持たないでは居られず、反抗をし続けたゼフェルであった。だか、その事に誰よりも心傷めたのはディアだったのではないかと少年は思ったのだ。
黙ったままのディアに、ゼフェルがちょっと、不安になる。
―― それこそ、よけーなこと言っちまっただろうか……?オレ。
そのとき、ディアがふわり、とゼフェルを抱き締めた。
「!!!!!!!!っ」
はっきりいって、少年はパニック状態である。
硬直しているゼフェルにディアの声が聞こえる。それは涙声のように聞こえた。

「……あのひとを。ダグラスを許してくれて、ありがとう」

◇◆◇◆◇

ぞろぞろと、聖殿に戻りながら、ゼフェルの隣を歩いていたルヴァが黙って、ぽんぽん、と少年の肩をたたいた。
その手のぬくもりがとてもやさしい。
にやりと笑いオスカーが言う。
「役得だったな、少年」
「っっせーぞ!!!、おっさん!」
ぴくり、と硬直した後、耳まで赤くなりながら怒鳴るゼフェルに、ランディがさらに追い討ちをかける。
「あはは、また真っ赤になってるぞ、ゼフェル。修行がたりないなあ」
言葉が終わるか終わらないかの内に、痛烈なケリがランディに入った。
「てめーにだけは言われたくねえっっっ!」

いつもの喧嘩モードに入っているふたりの仲裁はマルセルにまかせて、歩きながらオリヴィエがルヴァに話し掛ける。
「万年反抗期少年も少し、大人になったみたいだね」
「そうですね。人は、かわっていくものなんですね。誰でも」
少し、含みのある言い方にオリヴィエは茶化しを入れた。
「あんたはぜーんぜん、かわんないけどね〜」
はあ、そうですか〜?とルヴァは、おっとり笑みを浮かべ考える。
先程手を置いたゼフェルの肩。
―― どうやら少し、身長ものびたみたいですねえ。
と。

◇◆◇◆◇

「やはり、元通り、というわけにはいかぬようだな」
研究所からの報告に目を通し、女王も含めた謁見の間の定例会議でジュリアスが言う。
新女王と新補佐官の方針で、今迄のように「謁見」にての報告を止め、ロザリアはこのように自らも参加する会議をしばしば行うよう取り計った。
「陛下の威信に関わる」と反対する守護聖もいたが、効率の悪い過去の事例に囚われる事はない、と結局押し切ってしまった。
実際この方が色々と細かい所まで行き届くので、今では文句を言う者はいない。
女王とはいえ、執務中以外は普通の人として「ロザリア」と呼ばれる事を望む彼女は、うっかり「陛下」と呼ぶと
「勅命違反ですわっ」と、いささか矛盾した事を言いながらも明るく笑う。
どうやら新しい女王は、宇宙とともにすべてを新しく順調に変革していくようである。

そんな中、ひとつの問題が持ち上がった。
研究所からの報告にはそれがしたためられていたのである。
宇宙まるごとの大移動という大仕事を終え、長い時間のたっていないこの世界のあちこちに小さな黒いサクリアが存在し、しばしば九つのサクリアの均衡を邪魔している、というのだ。
黒いサクリアとは本来「こういう物が黒いサクリア」と定義付けされているわけではない。
その本質は九つの正のサクリアの均衡を崩すもの。 例えば「いにしえのなんらかの残留思念」等。この程度にだけ説明される。
今回の女王試験が始まる少し前に起こったアクアノールでの事件。
あの時の「滅びの波動」と呼ばれた歌声もこれに分類できるだろう。
また、いまだ各地に残る女王や守護聖の伝説、そしてそれ以外の英雄物語。
その中で剣や不思議な力で悪しき物を封印した、というものが多く存在するが、その「悪しき物」こそ黒いサクリアを指す。
たかが昔話、とあまり笑えない代物だ。
どうやら報告によると、今回の宇宙大移動の衝撃でその封印が解けたり、潜在的なものが一気に噴き出したりとあちらこちらで被害が起こっているらしい。

「過去にこのような事例はありませんわよね。宇宙の引越し自体前代未聞なのですもの」
ロザリアが途方に暮れたように言う。
対象があまりに局地的、かつ多数多様のため聖地からの調整もできないし、かといって出向いてひとつひとつというには、いくら前衛的な女王でも無理がある。

「これは確か、惑星監査官の任務ではないか?」
暫くして、ジュリアスがそうつぶやいた。それにのクラヴィス表情も変わる。
「そういえば……いたな。昔」
ルヴァも思い出したように声を挙げる。
「そうですよ、そうでした。惑星監査官のお仕事ですね〜。それは」
「古株三人で納得してないでさあ、私たちにも教えてくんない?その『惑星監査官』って、なんなのか、さ」
もっともなオリヴィエの質問にルヴァが説明する。
「あ〜、『惑星監査官』というのはですね、様々な理由で局地的に問題のあるサクリアを調整するお仕事なんです」

時折、女王や守護聖の交代期でもないのにそれらに似た力をもつ者が生まれる。多くは女性でもちろん、宇宙に影響を及ぼすほどの力はないのだが、訓練次第で女王や守護聖の力を借りて、あるいは自分だけの力で小さな黒いサクリアの排除や封印ぐらいはできるようになるそうだ。
過去に何人もそういう人はいて、彼らは守護聖と同じように長い時間を生きる性質となる。
ただし、その職務は多く聖地以外の場所のため、彼らは必然的に周りの人間と自分とに流れる時間の落差に守護聖達よりも苦しむことになったようだ。
力が衰えるまで退任せずに続けたら実感年数として数百年どころか、数千年もの時を旅するわけなのだから当然といえば、当然である。
(註・聖地での1年で守護聖は1才の歳をとるわけではない。時間がゆっくり流れてるとは言え、彼らの体内はさらにゆっくりと時間が流れており、守護聖や女王は実感としても数百年を生きる。さらにここで出た惑星監査官のような場合、聖地というバリケードがないぶんさらに長い時を実感として生きることになる)

そんなわけであまり希望者も無く、いても長年務める人は少なかったのだが存在したのは確かだ。
と、彼の説明はこんな感じのものであった。
古株三人の様子からみて、実際知り合いの監査官がいたようである。
―― それはまた、別の物語であるが。

「でも、今から相応しい人材探して、訓練の後に『さあ、仕事』じゃあ間に合わないんじゃない?」
オリヴィエがさらに尋ねる。
しばしの沈黙の後、ルヴァが頷いた。
「あー、そこが、問題なのです。見つかったとしても当人の意志も無視できないですし」

「私じゃ、ダメなんですか?」
そこに、いままで黙っていたアンジェリークが、突如口を挟む。
「実は、ディア様にすでに教わってたんです。補佐官が監査官を兼任する事例もあったって。元女王候補なわけだから、素質としては、問題ないわけですよ、ね?」
そう言って、無邪気に微笑んだ。


こうして、アンジェリークは補佐官兼、監査官として、しばしの間、聖地を離れることになる。
第1の任務地は惑星サラトーヴ。
別名「月の眠る惑星」である。


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